運命を決めた海「どん底で瀕死の状態でも設定さえすれば強く生きれる話」波乱万丈「実伝」!!

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運命を決めた海「どん底で瀕死の状態でも設定さえすれば強く生きれる話

こんにちは“Kriya Master” 龜 井 さちを です(名前の字間はHermesThothの啓示による「宇宙風水」の意味で開けています(笑

今回の話はわたしの「回想録」です

途中、重苦しい表現や文言が多々あります

人生は綺麗事(きれいごと)だけでは行かないものです

生死を分け、闇からヒカリへ至る壮絶な道を来ました

魑魅魍魎と化した事もありました

非行心霊暴走族少年から海の男「太陽族」に華麗なる転身

note(ノート)
龜 井 さちを もの凄くなが~いプロフィール「生きる力」あの日、あの時|龜 井 さちを ツインフレーム... アカシックナンバー鑑定 あなたの運命をも変え導く“魂のナンバー” アカシックナンバーを神託(オラクル)で弾き出します! 写真.文 / 龜 井 さちを 🏴‍☠️ このno⚚eは、元...

1980年代中期からのバブル経済の恩恵を受けまくっていた私は、銀座や六本木、京都に祇園、モナコにドバイラスベガス etc…豪遊は世界を股に掛けてました

mjs
マイケル・ジャクソン氏からのオファーでプライベートコーチしたことも。当時マイケルはん所有の豪華帆船にも乗船!!
詳細;ココね!
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行き着けのモナコのカジノはいつもスーパーカーでいっぱい

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アイルトン・セナ氏とのご縁でモナコグランプリを特等席で観覧しました!

通称「カジノカーブ」を激走するアイルトン・セナはん。その頃、こども時分より好きだった世界中の史跡や古城、パワースポットに世界遺産。宗教的な聖地の巡礼など相当

巡って来ましたが、途中でフィアンセが急性白血病の薬害で死亡。私も癌を発症し、苦しみの日々が続きました

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ワールドカッパー時代のチャンピオンの一人「Jason Polakow」氏

癌を治癒したウィンドサーフィンの力

癌に数年起きに罹る悲惨な状況でしたが、プロウィンドサーファーとして幾度もの有数のビッグウェーブスポットを攻めました

巨大な波の壁はまるで、マイケル・ジャクソンはんの“オフ ザ ウォ―ル”が聴こえてくるかのようでしたよ…

日本代表のプロウィンドサーファーとして世界を転戦していて、

マウイやオレゴン、スペインやカナリア諸島、南アフリカにも家を借りていました

当時、UPSやVOLO等々..世界の大企業のスポンサー企業17社にお世話になり、個人の後援会も複数名おりました。

本当にたくさんお世話になりありがとうございました

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Hood River Oregon “Gorge”

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当時住んでいた近くの高台からフッドリバーを望む

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世界一の安定した強風が吹き抜ける“Gorge”ウィンドサーフィン天国だ!

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オレゴンの名峰「Mt.フッド」おおらかに鎮座。風光明媚な大好きな処

Super Carで癌が治癒!!

車がこどもの時からだいすきで、ドイツではフィアンセのポルシェ911(930)turboとメルセデスAMG73SLで「アウトバーン」を駆り、イタリア「アウトストラーダ」とスペインでは当時の愛車フェラーリF40で最高速Maxも経験しました!360キロ!!!スーパーカーで癌完治の話はそのうちします(笑

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アウトバーンをポルシェで激走!メーターは300キロ目前😘

プロウィンドサーファーのはなしに戻りますが、

海の世界は本番の試合よりもむしろ「練習」の日のほうがハードでした

海外の2メーター近い巨人達を相手にしなくては試合では勝てないからです

ダイバーが付ける様な砂袋のウェィトを幾つも背負いトレーニングは続きました

ベタ凪の日も、超強風(60メートル)が吹き荒れる日も、練習を繰り替えしました

Windsurfing Windsurfer
Windsurfing Windsurfer

ウィンドサーフィンは『神の乗り物』

ウィンドサーフィンは『神の乗り物』という異名を持っています

時速は80キロ以上出ます15メートルの大波も乗り越えたり、サーフしたり、ジャンプしたり出来ます

また横乗りスポーツの元祖であり、特にスノーボードのパイプ系の技のバックボーンは全部ウィンドサーフィンの“トリック(技)”としてすでに1980年代から在ったものばかりです

現在のウィンドサ―フィンの幾つものムーブメント(技)はさらなる宇宙的な進化を果たしており、

通常の科学や日常の既存のベクトルの概念を超えていて、ひと昔まえの映画マトリックスの様なリアクションが日々、

吹きすさぶ海上で繰り広げられていて興味は尽きませんね(笑)

※興味沸いた方は「フリースタイルウィンドサーフィン」で検索してね!

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ワールドカップの時のスタートの光景

夜や移動先では筋力トレーニングも継続し、食事も日/6食摂りアスリート生活していました

当時、体脂肪はわずか3%でした

途中、三度(みたび)の大怪我と病気にも見舞われ、一時は選手生命も危ぶまれた事もありました

怪我と故障とヨガとの出会い

ちなみに、私の両脚は靭帯断裂と損傷の傷を負ったままで、腰も腰椎椎間板が無い世界でも珍しい椎間板ヘルニア者です。ですので過度の捻じりや後屈はその頃からしていません

そんな頃、住んでたマウイ島のホキーパの丘でサーフィンの神様でもあり、

当時はウィンドサーファーで活躍していた「ジェリーロペス」さんとビーチヨガをする機会がありました

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Hookipa Beach Mauiは風と波の聖地。世界中からツワモノ達が来る最高の場所

ホキーパの丘で、右からのトレードウィンドを浴び、マウイの風と波を見ながらのビーチヨガは飛び切り爽やかで最高に気持ち良い瞬間でしたジェリーロペスさんとしたビーチ瞑想も、太陽を受け、全身が洗われるような静けさに包まれたのが昨日のようにかんじます

その後、プロデビューから何年経ったでしょうか

大きな大会でようやく入賞する事も増えてきました

年間に稼ぐ事の出来るお金も飛躍的に増え、最高時は日本円で9桁ありました

けれど、良い時は続かないもので、いつの間にかバブル経済は跡形もなく破綻していました

入る以上に浪費豪遊の癖でその後数年間は生活のグレードを下げる事が高いプライドのために出来ずにいました

負債はあっという間に増え、到底こじんの稼ぎでは払えない巨額となってしまいました

それでも、最後の足掻き(あがき)で使用不能になるまで、世界行脚と豪遊を繰り返しました

日本で1台しかない超プレミアムスーパーカーをゲットしたこともありました

マセラティ
当時の愛車

多額の負債

ところがその豪遊散財な日々も終わりを迎える時が訪れました

多額の負債に陥りました

弁護士にもお願いして、数年掛かりましたが、免責下りて、自己破産しました

無一文、家無しとなり、最後まで保有してた愛車もなけなく手放す日が迫ってきました

生きる望みを当に捨てていた私は、愛車で、走りなれたいつもの高速で全開にアクセルを踏み込みました

わずか数秒足りずで、300キロをメーターの針は超えました

おもいっ切りハンドルを切りました

急激な蛇行で、日本に1台の超スーパーカーも大きく左にブレもの凄く揺れました

が、

その数秒後、奇跡のような事が起きました

車は何事もなかったかの様に、元の追い越し車線に戻っていたのです

300キロ超えからの生還でした(F1と同じ特殊装置が付いている車両)

腹を括る

肚(はら)を決めた私はそのまま次の出口で降り、車を売りに行きました

それでも莫大な借金は減らず、最終決断に迫られました

青木が原樹海

私は富士の樹海に居ました

薄暗い漆黒の闇が何故かほっとしました

同じ様に死にに来ている数人を目撃しました

私は持参した大量のアルコールと風邪薬、そしてタバコもワンカートン一気に飲み干しました

森が、

木が、

空が、

土が、

空気が、

薄まっていき、

視界もだんだんと

狭くなってくるのを感じました

呼吸停止

呼吸もついに停止しました

脳波も止まり、

最後の「砦」心臓も

止まりました

三途の川

それからたくさんの夢をみました

三途の川も渡り切りました

今となってはそれはアルコールと

薬による幻覚かどうかはわかりません

まぼろしを見たと言われればそうかも知れません

神に説教された唯一の“漢(おとこ)”

けれど私はしかと見たのです

「神」の姿を

大きな輪郭の神の姿を

神は私に忠告しました

『死ぬなら死ね。

ただ、さいごに好く考えてみるがよい

お前にしか出来ない事があるのではないか』

そう神は言い残すと一陣の風と共に

その姿は闇にかき消されて見えなくなっていきました

それから数時間経ち、朝の陽ざしが昇りはじめました

まだ、生きていたのかと半ば諦めついでに一息、ため息を付きました

ちかくの木々たちがまるで台風か嵐が来たみたいに、大きく 大きく揺れ始めました

風も吹いていないのにです

ほどなくして私は知る事となるのです

今まで浅かった自分の呼吸が嘘のように、深く 深くなっていたのです

闇に現れた謎の正体が、

闇に舞い降りた一陣の風の正体、

まさしくほんとうの神だったのに違いありません

神から得た力

イノチを開け放つ本当のサレンダーにより、得られたもの

神の息吹『רוּחַ』を授かったのです

生きながら輪廻転生する

私はその時生まれ変われたのです

そして、もう消して自分からは何が起きても逃げないと覚悟をきめ、ヨガに生きる。そう決めて富士の樹海を後にしたのです

※これまでの記録写真、トロフィー・賞状等は人生リセットしたその日に全て処分しました

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今から十数年前、鎌倉でダンカン・ウォンさんと戯れる図

みずからを知るのに

五十四年という歳月を私は要しました(初投稿時の年齢)

とても長いような  この歳月

 

けれど、この一日があったから

雷鳴のような一瞬の真実を

見逃さずいきて生けるのだと思います  

 《クリヤヨガ は 人間の解脱への探求の無限運動であり、いわば生身の体を通じた唯一者への回帰的な転変行為である 》

本日も最後までお読みいただきましてほんとうにありがとうございます

愛と感謝と光を込めて…

シャンティ・シャローム(Shantih Shalom)

Kriya Master 龜 井 さちを(Kamei Sachio)

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