自伝  龜 井 さちを(Kamei Sachio)

私

自伝  龜 井 さちを(Kamei Sachio)

目次

龜 井 さちを 本名:亀井 佐千雄

1963年生まれ、山梨県出身

元世界プロウィンドサーファー(日本代表) また、ウィンドサーフィンスクール校長として、延べ1万人以上の生徒を指導。生徒の中には アイルトン・セナ氏、マイケル・ジャクソン氏らがいる。現役中、筋肉の鎧をまとっていたために柔軟性が足りず、怪我と故障が絶えない苦しい日々が続く。その経験から、ヨガが自身の心と体に与える影響の偉大さや効果を知り、引退後、本格的にヨガの道に足を踏み入れる。当初は、流行りだったポーズ中心のフィットネス的なヨガを練習していたが、運命的に出会ったヨガ指導者の人間としての器の大きさと愛に触れ、呼吸を基盤とした内面の変化に基づく深淵な心の内側を覗き込むといった、本来のヨガに出会う。それによって自律神経が整い精神が安定し、体の運動機能が活性化されて身体が軽くなった。この素晴らしい感覚を多くの人に伝えていきたいと、国内外で修練を積み、米国ヨガアライアンス認定RYT-500、E-RYT(上級ヨガ師範)を修得してヨガティーチャーに転身。『魂の癒し』をモットーに、「体」と「心」の密接な 繋がりを重視しヨガ・瞑想を融合した 独自のヨガ・瞑想技術を科学的に確立し実践している。中でも、呼吸を中心に独自のレッスンを行い、 鬱等の様々なつらい症状の快方に結果が期待できる クリヤヨガ・瞑想は、多くの受講生から好評を得ている


 著書

1日5分であらゆる不調が治る「体幹ヨガ健康法」

PHP出版社/亀井 佐千雄 著者

ヨガに出会うまでの旅<ヒストリー>

ヨガとの出会い

もし、ヨガに出会えていなかったら、私はろくでもない人間になっていたと思います

「夢も希望も全く見えず、音や匂いすらもとうとうかすれてきました

わたしの命のともしびが消えかけてきたのです

 わたしの心の深い暗い闇から、つめたくって音もしない、匂いもない、

わたしは意を決してこの身を、命すら明け渡す決心で肚をくくる覚悟をしたのです… … …」

つづきは、こちらから・・・
(長文のため、自己責任でお願いします)

エピソード1

横浜でやんちゃだった頃の私

やんちゃ過ぎた少年時代
〜ウィンドサーフィンに出逢うまで〜

(二度の中退の話…)

小学生時分は運動と読書好きの父親のおかげで体育と作文が好きな子どもでしたが基本的にはボーっとするのも好きでした
活発な面もあり、見様見まねで学校の砂場でバク転、前転、側転、なんでもできました。習い事は塾と書道なのに、なぜかお呼びがかかり水泳や陸上の大会に出たりもしていました。自分でいうのもあれですが、元祖ジャニーズ系でした。ジュノンボーイなんてまだない時代です(笑)
お気に入りの大好きな歌は“アイル・ビー・ゼア”ジャクソン5です

中学生になり入学した学校が当時神奈川で一番ワルと評判の学校で、入学式中に上級生から因縁つけられて、いわゆる「メンタン切られ」たり
その上級生のイニシャルは○・○。今でもおぼえています。とにかく荒んだ生徒が多い学校でした。当時の部活は県内唯一のフィギュアスケート部。お気に入りの想い出は“ジャネット・リンがお気に入りだった”ことです

2年生で市内の別の学校へ転校しました。ワルサ100倍のとこからの転校生という事ですぐに私は上級生らから目をつけられましたが、
ハッタリをかましてデカイ態度で臨んだところ、見事退散してくれました(ホっ)


その後、卒業まで番を張ることになりました
自慢ですが、他校の女生徒からも人気で、お気に入りは“つけがきく飲み屋”が2軒あったことです
“ビーバップハイスクール”を地でいってました(苦笑)

そのころの友達の保君(仮名)のおかげで幼児期からあったスピリチュアル能力も飛躍的に開花しました!

そのころ頻繁に体外離脱を何度も体験するように。他に、心霊現象も毎日のように観ました

チャネリング、サイキックな能力も開花し、同じくして、暴走族にも参加。国内最大のチームだった“○○○○エンペラー”の横浜支部幹部として、再三の補導で幾度か両親と共に家裁へ行ったのは、今思えば本当に親不孝な息子でした

その後もやんちゃな氣質はあいかわらずで、高校を一学期で退学した私は、翌年入学した某美容学校もわずか2ヵ月で退学
親からの大ひんしゅくをかってしまいました。(当然ですよね)
その後は、友人のすすめで東京ディズニーランドを作る建設作業員としてIHI等で研修。まだ赤土とダンプ、重機入り混じる中、アドベンチャートンネル等を建設する部署で作業にあたりました

運命の車輪が動き出した

そして、そのころ人生を決定的にした一件がおきたのです

非行仲間だった○○君がとある一件のことで急にいちゃもんつけてきました
「亀、つきあい悪いんだよ!」と言い放ち、顔を拳でおもいっきりなぐられたのです

とっさのことで一瞬ひるみましたが、気をとりなおしなぐり返そうか思ったけど、急に心の声がしてきてアホくさくなったので、「じゃあな!」とだけ言って
その場を後にしました。この時の自分の心の声を今でもハッキリおぼえています

新天地へ

「こんな事してたらだめだ。別の世界で生きよう!」って

その後、外資系大手の企業に奇跡の就職決定。
在職中三度の全社トップセールスの売り上げを叩き出しました。18、19才の頃です

休日になんとなくウィンドサーフィンをはじめてみました
3回目のウィンドスクール中コーチから衝撃の「ひと言」がありました

「男のくせにおまえバランス感覚悪いな!」って

世界デビューを公言する

この一声が私の負けず嫌いの炎を一氣に燃え上がらせてくれました
その晩、いきつけの居酒屋A太郎で
「○○○さん、おれ、わるいっすけど世界行きますから!
プロウィンドサーファーになって世界でたたかいますから!!!」
と公言してしまったのです

同席の友人らは、「むりでしょ~~」とか
「でかいこと言わないほうがいいよー」とか、
ネガティブ系のそんな言葉だらけでしたが、
わたしにはすでにハッキリとその時“世界”でたたかう自分が
ありありとハッキリみえたのです

退職届

それからすぐに会社に退職届出して、毎日横浜の鶴見から湘南の逗子に通いました
365日24時間、海とウィンドサーフィン漬けの生活に入りました
夜はまかない付きの逗子のとあるカフェバーでバイトして、
昼間は一日中海にでて練習を続けるという日々が始まりました

暴走族から華麗に転身

ウィンドサーフィンはなんせ道具が多いスポーツなのでお金がかかります
ボードにセイル、ウェットスーツ等々、それに車も
ほんとうにお金がかかるスポーツなんです
試合や合宿、遠征でお金が必要な時は今でいう読者モデルや、
新宿でホストクラブのバイトしたりもして資金を捻出してました
まだバブル経済前夜って頃でした
   

エピソード2

プロウィンドサーファー時代

プロウィンドサーファー時代
〜草レースからわずか数年で世界へ〜

湘南や地方への遠征で、アマチュアとして数々の実績をつくり、わたしはプロのウィンドサーファーとしてついにデビューしました。ほろ苦い下積み時代の苦労が報われた瞬間を味わいました

同時にその頃、湘南でウィンドサーフィンスクールの校長兼インストラクターもしてました。徐々に人気者になりだしたので、毎日多くの人が受講しに来てくれました
地方の方や海外からも。わたしが海外へ行った時でも現地でお声がかかるほど大人気の的でした
というわけで良い面だけでなく、これからがほんとうの正念場です。なにせ亀井家全体で初のプロアスリートなのですから(汗)

時の運命の神が微笑む


しかし、時の運(命)を当時しっかりつかんでいた私は、
やることなす事すべてに自然に上手くいきました
気力・体力・知力のどれをとってもなにも怖いものなんてありませんでした

練習の成果が徐々に着実につながりだしてきました
全種目出来るプロは日本ではまだ少なく、テレビやマスコミへの露出も増え、
わたしを支援してくれるいくつものスポンサー企業からはとても感謝され喜んでくれました
ここまでこれたのは自分のあくなき挑戦と膨大で緻密な練習・研究、
そして、後援会、スポンサー企業、友人、メンバーさんたち全員のおかげです

世界でたたかう環境と運にめぐまれたことは今でも誇りですし、感謝しています

呼吸が浅い事に気づく


しかし、すべて順調だったわけではありません
もともと呼吸が浅く、すぐに疲れてしまう性分のうえ
せっかちで些細な事にもイライラしっぱなしな面は相変わらずのままでした
それと、線が細い少年だったわたしはとにかく筋肉をつけるのもひどく大変でした
一日6食の食事法を実践して、合間にもプロティンアミノ酸や各サプリ等々、
ありとあらゆるトレーニングを試し、筋肉つけて体重増やして試合に臨む生活でした。徐々に筋肉もつき、MAXで85キロの体重になって、体脂肪は3%でした
見た目はたしかにボディビルダー並みまで仕上げましたが、
いかんせん脂肪をそぎ落としすぎて体が冷えきってしまい、
冬の海に入るのがつらくなってしまったのです
ですので、翌年からは脂肪を落とし過ぎず、体脂肪を8~12%での
コンディション作りに代えていくことにました

運命の出会い

しかし、悩みや状態を外的要因のせいにしてしまう癖は治らず、呼吸も浅いままでした。そんな状態を打破してくれるのはいつなのか想いをめぐらせている時のことです
偶然、アメリカ遠征を終え、わたしはインディアンの酋長主宰の瞑想合宿に参加する機会を得ました
各自の大きなリュックに寝袋や食料を詰め込んで、全米中を歩いて横断する歩行瞑想のキャンプです

見ること、出くわす事、カルチャーショックの連続でリーダーの酋長の半端ないスピリチュアルパワー炸裂の瞬間にも何度も遭遇しました

ある日、朝からサークル(円陣)組んである儀式をしてた時です

無風で、とおくの煙もまっすぐ上に昇る状態でした

しかしです

「酋長が風よ吹け。」といった途端、

今の今まで無風だった空気が一変しました

 正面からのもの凄い風が吹き荒れたのです

時間にしてたぶん数分の事でしたが、あまりの出来事に参加してた世界中の名のあるヒーラーたちも茫然としてます

すると今度はわたしのいる後ろ側からも風が吹いて来たのです

風に関してはプロのわたし。こんな事がある訳ないと思いましたが、
夢でもまぼろしでもなく、正面、後方ともに風が吹き荒れているのです

 参加者のどよめきも頂点をむかえた時、
酋長が天たかく人差し指をある呪文とともに振りおろしました

古代マヤ語の呪文の秘蹟

「○△□?☆ ○△□?☆ ○△□?☆ ○△□?☆」

そういうと吹き荒れてた風は一瞬でピタっとやんだのです

おたがいの顔をみる参加者たち

わたしはこの現象の正体を知るのはすこし先のことです

潜在能力

わたしたちは本来、未曾有の無限大の力をみな持っています

酋長がいつも話してくれました

森羅万象、生きとし生きるもの皆平等に尊い存在なこと

呼吸を観察するものこそが、この世でわたしたち乗り物であるわたしたちの

肉体と魂を唯一結びつける鍵であり法なのだ。と、仰っしゃられました

酋長に質問

 わたしは意を決して酋長に質問してみました

 「あの日の風は、いったいなんだったのでしょうか」

 「あーあ、きみ、日本からの初めての友人よ。とてもいい質問だよ」

 「あれは、コンシャスネスだよ。意識が生み出したマインドの風じゃよ」

 「???」

 「まあ、きみにもっと分かるように説明しよう

 此処はわれわれの先祖からの約束の地だ

 四方八方、神聖なエナジーで満たされている聖なる土地じゃよ

わたしたちのコンシャスネス(意識)以外の事は起きない護られた土地じゃよ

古代マヤの教え

 火も水も風も土も、わたしたちとおなじコンシャスネスで出来ているんじゃよ

信じられるかね?」

「???」

「きみの住むアジアでも五行や陰陽、太陽崇拝、信仰等、

いろいろあるじゃろ」

「はい。それとなにか関係でもあるのですか?」

「おおありじゃよ。もともと、わたしたちは皆、大いなるもの化身であり、器。

乗り物なんじゃよ。意識という無限の宇宙に住まう住人なんだ
念じるだけで奇跡はおきるのだよ。エナジーという、意識の層をゆらすことで全てをクリエイトすることが出来るんじゃよ

シュメールやギリシャ、メキシコ、アフリカ、ブラジル、グルジア、倭(日本)の各古代文明では、ひとびとはテレパシーと共に、物体の移動も可能なほど、コンシャスネスの宇宙を自在に操っていたんじゃよ。その名残が垣間見れるものが、プラーナという類いじゃよ」

「酋長。グレイトな話過ぎて、なんだかこんがらがって来てしまいました…」

ホーリーネーム付与

「そうじゃったか。きみはよくきいてくれたな

 きみに、聖なる名前、スピリチュアルネームを授けよう」

「それは、願ってもいない計らいに感激感謝します」

「ア ク ア・ ツ タ Akua Tuta 風の息吹じゃ」

「ありがとうございます!」

このような稀有な体験をいくつも味わう、

まさに「魂の癒し 魂の息吹の旅」でした

 この旅をさかいに、

わたしの呼吸はみちがえる程、

ときどきですが、長く、安定した深い呼吸にかわってきたのです

 錬金術でいくつかの金属の破片がなにかの科学反応をおこし、

融解して金になる感じのように、

見違えて格段に変容してきたのです

この時まだ、ヨガをはじめるとは夢にも思いませんでした。   

エピソード3「ヨガに出会い修練を積む」

ヨガ(師匠)との出逢い
〜引退・廃業・自己破産・生保受給 〜 

 

真のヨガ・瞑想指導者として再起をかける修業へ、そして…

その後もプロウィンドサーファーとして活動しながらも、わたしの呼吸が浅くて体が硬い状態はつづきました

そして、ついに人生を変えてしまうほどの一大転機がおとずれたのです

ヨーロッパでの遠征を終え、昔からの知人の赴任先のスリランカへ向かいました

初めての地。高ぶる興奮を抑えるのが大変でした

到着後の空港で待つこと3時間

いくら待っても友人は現れませんでした

しかたなく私はタクシーで行先を告げ車を走らせてもらいました

 当時のスリランカはまだセイロン時代の名残が町並みに多く残り、

決して治安が良いとは言い難いところでした

 車を走らせること2時間位

お世話になる予定の施設に到着しました

ヨガアシュラムに着く

そう。ここは瞑想・ヨガ道場

インドやスリランカではアシュラムと呼ばれる施設です

ここに籠り約1ヵ月、浮世と離れ、瞑想とヨガをしながら

三日で一食という過酷な条件のもとで、クンダリーニから解脱

そしてサマーディー(覚醒)まで味わう修行を行うことになったのです

牛糞と共に..

わたしが使わせてもらえる部屋は元馬か牛か豚か、なにか動物のいた厩舎のような建物です

部屋の隅に所どころにカピカピになった動物(牛)の糞らしき物が目に入古くて臭い部屋でした

そこで朝3時30分から瞑想を始めるのです

丑三つ時と聖なる時刻

この時間は“ブラフマータイム”といって、昼でも夜でもない精妙なプラーナが散りばめられた聖なる時間とインド地方では言われています 

ここのアシュラムは、日本の武道の道場みたいに稽古や指導をするために常に指導者が居るわけではありません

ですので、始めの数日と終わりの数日に指導者が居ただけでした

わたしが滞在してた日数の半分以上はおもに一人での修行でした

瞑想行へ

まあ、当時わたしは瞑想をする時は一人でやるもの位の認識しかありませんでした

そして、ヨガをするには教えてくれる先生が絶対に必要だと思っていました

しかし、ここでは全ったくその逆で、ヨガのポーズは一切教えてくれませんでした

自分の居る部屋か、みんなが使えるホールの様なところで勝手にポーズの練習をしたりする別の人をたまに見かける程度でした

そのかわり、瞑想は指導者が居る日には、朝4時から夜11時くらいまで

なにも飲み食いひとつせずに、ひたすら内なる自分に問いかける時間を持てました

プラーナ炸裂!!

 指導者の先生は広い瞑想ホールの一角に微動だにせず、ただ座しているだけでした

ところがです。不思議なことに、指導者の“氣”がわたしのところまで伝わってきました

プラーナと呼ばれるものです

いわゆる“氣”が伝播してくるのが心で感じることが出来たのです

呼吸による瞑想のことを、古代エジプトやギリシャ、インドでは

“聖なる科学”

“魂の癒し”

それか、

“魂の学校”と呼ばれる所以(ゆえん)があります

そうして、わたしは深遠なヨガ・瞑想に深くのめり込んで行くようになったのです

その後、ハワイでサーフィンの神様とよばれる人のもと、ヨガポーズを初めてやりました

ハタヨガでいうところの“太陽礼拝”をしたのです

ハワイの風に吹かれ、とても気持ちよい想い出になったのが昨日のようです

プロ選手引退の日

それから数年後、プロ選手引退の日がおとずれました

おりからの不景気と、バブル経済破綻の影響をもろに受けての引退でした

大会開催のためのスポンサー企業が集まらず、
ウィンドサーフィン界は急激に縮小して行ってしまいました

わたしの運営しているウィンドサーフィンスクールとお店も
いつしか閑古鳥が鳴き、苦しい状況が続くようになり、
しかし、生活レベルを下げれなくて借金ばかり膨らんでしまいました

到底、どう転んでも払えない金額にまで借金は膨らんでしまいました

原因は自分の見栄と欲望から出た傲慢な心でしたが、当時合わせて3つの癌になり西洋医学の不信から世界中に治癒の旅に行きまくり、スーパーカーも頻繁に購入し乗り換えたり、好き放題に買い物や飲食、旅行にと使いまくっていたせいです
とうとう首が回らなくなり、弁護士にお願いして免責の手続きを始めました
正確に言うと、弁護士代もないから法テラスという機関を利用したのです
通帳の全内容のコピーが義務つけられて、お金の全ての収支や使い道の提示、大好きだったプレミアムスーパーカーの売却
命と同じくらい大切だったウィンドサーフィンのセイルやボード、金になりそうな物、全て売却して免責に臨む必要があったのです

そして、約10ヵ月後にようやく裁判所で免責決定されたのです。官報という政府誌に名前、内容等が掲載されたのです

目黒サン&ムーンヨガ

この頃、唯一やすらげる場所は当時目黒にあったヨガスタジオに行ってヨガすることだけでした
そこのオーナーでヨガティーチャーの“リザ”先生のヨガは最高にしあわせな時間をわたしにもたらしてくれました
人間としての垣根のない、裏表のない、本当の愛をわけあたえる、あたたかく心から尊敬できる素晴らしい先生でした

しばらく練習で通っていました。心底癒された本物のヨガティーチャーであり、心ある素敵な女性でした

リザ
リザ・ロウィッツさんと

同棲・破局

ほっと一息したのもつかの間で、それからさらに私はさらに困窮することになりました

借金は免責でなくなったとは言え、当時同棲している人と別れる事になったのです
理由は他に男が出来たからです

そうこうあって、わたしは心が完全に折れて潰れて
元にもどらなくなってしまいました
単なる失恋が原因でというのではなく、
心の羽根の根本から完全に翼がもぎ落ち、鬱になってしまったのです

生きる力も、なにかを想像することも、なにもかもいやで、なにも、
ほんとうになにもできなくって、薄暗い狭いワンルームでひきこもるのがやっとでした

就職はおろか、アルバイトもする気力も体力も残ってはいませんでした

もちろんヨガする気力も体力もありませんでした

 ほんとうに暗いまっ暗な森を立つことも出来ず、歩くことも出来ず、
だれかたすけを呼ぶこともできず、這いつくばっていることしかできませんでした

過去の栄光も、マイケルさんやセナさんとウィンドサーフィンした想い出も、
もう、遠い過去の話か、他人事の話のような気さえしてきました

涙も三日三晩泣きとおしてもまだ出てきて、

ひと月以上ずっと泣いて涙が止まりませんでした

 夢も希望も全く見えず、音や匂いすらもとうとうかすれてきました

 わたしの命のともしびが消えかけてきたのです

 わたしの心の深い暗い闇から、つめたくって音もしない、匂いもない、

なにか得体の知れない恐怖ともよべる気配を感じだしたのです

精神の破綻

なにも居ないはずなのに心臓の鼓動はたかなり、

耳はなにかの機械が発する高音のようなけたたましいノイズが聞こえだしたのです

そう。わたしは精神に異常をついにきたし、幻覚、幻聴があらわれだしたのです

もう自分の手には到底負えないところまで落ちてしまったのです

生活保護

わたしは気が遠くなるような幾つもの日々を過ごすことになったのです
体重も激減していて、すでにガイコツのような形相で
生きている常人には到底見えない状態でした。
そんな状態ですのではたらく事も当然できませんでした。
生活保護で暮らしていたのです

数か月というながい時がすぎたのも気がつきませんでした

心軽やかで世界をめざしたあの日も、

雨の日も、雪の日も、日照りで凪の蒸し暑い日も、厳寒の吹きすさぶ日も、

さわやかな風が吹き抜ける日も、すべて手放なさなければならない時が
おとずれてしまったのです

意識が朦朧(もうろう)として、いつまた、幻覚と幻聴、
狂気が来るかわからない状態です

わたしは意を決してこの身を、命すら明け渡す決心で肚をくくる覚悟をしたのです… … …

… … 

 … …

どのくらいの時間がながれ 経ったかすらわかりませんが、

なにかがとつぜん変わりはじめた事だけはわかりました

そう、長年気にかけていてどうすることもできずに放っておいた呼吸が、

 浅かった呼吸が急激に、自分の内側の目にみえないパワーか、

エネルギーのようなものが、根源から勢いよく流れ込んで来たのです

地獄から生還!神の息吹を得る

自分の居る部屋の端から端

窓際から玄関

カベをつきぬけて反発力をともない戻ってくる目に見えない力を、

わたしはまざまざと感じたのです

そう。本来の呼吸

呼吸という命の息吹がうまれだしてきたのです

なんども夢か、幻か、あらたな別の幻覚か疑い、本当の呼吸か、

自分の息がそうであるのかを何日も何日も検証してみたのです

それはまぎれもなく、わたしの息 呼吸でした

吐く息も、そして、吐く息だけでなく 吸う息も、

内側にふたたび しっかりと戻ってくるメビウスの輪のような繊細で
強靭でしなやかで深遠で包括された魂の息吹が生まれ、蘇ったのです

それはまるで天空とわたしたちの住まうこの大地をつなぐ生命の樹

そのものに感じたのです

フラカン降臨!!

すると、どこからともなく聞いたこともない音なのか、言葉なのか、
不思議なバイブレーションがあらわれてきたのです

「フラカン イシュムカネー シナ

フラカン イシュムカネー シナ

フラカン イシュムカネー シナ

… … … … … … 」

永遠につづく刻まれた紋章のような音の木魂(こだま)波紋をのこし、

わたしのもとにおとずれた不思議なバイブレーション。音のコトバ

だいぶあとでわかったことなのですが、
その“フラカン イシュムカネー シナ”は、古代の文明のシュメール語で“

呼吸こそ、神の風。

神の息吹“という意味だったのです

そう、あの日、アメリカインデイアンの酋長が唱えていた呪文そのものだったのです

生きるための再設定

 この日をさかいに、わたしは元気をとりもどしました

 ヨガと瞑想の日々へも少しづつですが着実にもどっていくことができました

 その後、いくつかのアルバイトを転々として働きました

数年間の短い期間でしたが、自分の使命としての任務“呼吸にきづく生き方”
すなわちヨガ、本来のヨガを通じ、病んでいる人も救い、
すべての人をも自分らしく生きるためにヨガで支援しようって決めました

生きながら輪廻転生を果たす

ヨガ指導者として生きる覚悟をきめた瞬間でした
その後、弱冠の紆余曲折はありましたが、

応援してくれる素晴らしい仲間。わたしのレッスンを受けてくださるみなさま、当時の妻のShuさん、
私のヨガ人生の基盤の一つを成してくれたこと本当にありがとう!

ヨガに生きるとは

ヨガが人を変えてくれるのではありません

人が人として成長するには人の居る社会で揉まれ、

人に見返りを求めず、期待せず、

笑顔を忘れず、行動することだけです

どんなに苦しい時でも、相手のことを想い、一呼吸して、

まごころからの行動でしめすことが最大の誠意だと感じます

そして、ヨガに話をもどすと、

ヨガは、からだをやわらかくするものでは

決してないってことをここで書いておきます

例えば、ダイエットをうながす事はあっても単体でのダイエット効果を

もたらしてくれるものではないということです

そして、呼吸がおざなりになる、人工的な温度の中でヨガをするなんて言語道断です

命を軽んじている行為としか思えません

みずからの寿命を縮めている事と同じなんですよ

ヨガは過去の先人たちが残してくれた“心と体とマインド。魂の科学”なんです

適切な指導者のもと、適切な負荷(心と体のコントロール)と起因(意識・意図)による呼吸が最重要なのです

“はじめに 息があった 呼吸ありき“ がヨガの真実であり本来の容(かたち)なのです

そう、古くはプラトンやエジプトのファラオ、ジーザス、仏陀、弘法大師、日蓮大聖人、安倍晴明、レオナルド・ダヴィンチ、ローマ法王、エルビス・プレスリー、ビートルズ、松下幸之助、マイケル・ジャクソン、スティーブジョブズ… … 

歴史に残る偉人が行っていたものこそ“Kriya Yoga クリヤヨガ”なのです

本来のヨガは体を鍛えるためのではなく、人間の生き方、
すなわち自己実現して世の中をより良くして行くための術、
マインドを鍛えるものなのです

生きるための息吹“Kriya”

さあ、わたしと一緒に“魂の旅”の帆を張り

運命すら変えられる

“魂の息吹 奇跡の呼吸”を身に着け

“クリヤヨガクルー”として

輝きつづける大海原から真実の大地を創造して行きましょう

龜 井 さちを

生きるための息吹“Kriya”
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