退化した適合性の社会を超えて生きるための秘策
こんにちは Kriyaヨガマスター 龜 井 さちを(Kamei Sachio)です
今回はちょっぴりシリアスな大切な話です
この世界は、表面では様々な人間が生きて、暮らしている風に見える社会に私たちは日頃いますが、
実際のところ現代文明は退化の道を真っしぐらに辿っていることがこの後からの文言で分かるかと思います
適合性=非人道的な社会
適合性という非人道的な社会
現代は、進化というよりも、むしろ激しく退化して行く方向に人類は進んでいます
人と人の触れ合いが希薄になり、真実よりも適合性が重視されるようになった世界に私たちは否が応でも生きて行かなくてはなりません
真実なき適合性の社会
私たちのほとんどは本来、真実を知りたいと頭ではよく理解しています
しかし、ほとんどの場合、自らの意思でこれがどの程度真実であるのか疑問に思うことがあります
苦い記憶
ある思い出が思い浮かびます
子供の頃、ほとんどの夏、父は私をヨコハマの自宅からは遠い大磯のプールや湘南のビーチによく連れて行ってくれました
今でこそ、水陸両用の私ですが、幼い頃の私は水が怖くて仕方ない子供でした
それもそのはず私が生まれた山梨県には海がありませんでした
衝撃の夏の日
それは私に衝撃を与えました
それが真実ではなかったからではなく、歴とした真実だったからです
それは、今も私の深い記憶に宿る大切な一コマとして光輝いています
父はプールに着くや否や私を抱えプールにポーンと投げ込みました
私は自分に何が起きたか理解できず、大量に水を飲んでしまいました
プールから這い上がった私を見て父は間髪入れずに再び私を放り投げました
再びプールから這い上がるとまた同じように放り投げられました
三度目の正直
不思議なことに3度も放り投げられるとさすがに私も多少慣れて来たのか最初の恐怖心は疾うに無くなっていました
気がつくと誰にも教わってもいないのに私は大きなプールを自在に泳いでいたのです
真実は隠す
私たちは皆、何らかの理由で真実を隠したがります。真実はある意味厳しいものかもしれません
時には痛みを伴うこともあります。それは歓迎されないことかもしれません
世の中の亭主達は、「この服はどう?太って見える?」という妻の質問に対し本音ではない真実を隠した発言をすることがあります
「いいえ、すごく素敵だ!君に似合うよ」と強調します
本来、真実はとてもポジティブなことだと私は考えています。私は今でもそう感じていますが、現代の社会性について考えれば考えるほど、
日頃からこの社会は真実が覆い隠されている事に気がつくのです
窓のない心
私は以前、出家をした経験があります。正確に言うとわずか二月余りの間ですが、チベットのとあるお寺に入門しました
そのすぐあと、タイに行きそこでもとあるお寺に入門しました
今だから言いますが順番が逆でなくつくづく良かったと感じています
それはなにかというと、
続く
シャンティ・シャローム(Shantih Shalom)
Kriya Master 龜 井 さちを(Kamei Sachio)