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退化した適合性の社会を超えて生きるために②

女性飛び込み
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退化した適合性の社会を超えて生きるために

こんにちは Kriyaヨガマスター 龜 井 さちを(Kamei Sachio)です
今回は前回の続きからになります

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本物の信仰と偽りの信仰⑴

結論から言うと、現在世界中に無数に点在する祈りを母体とする数多くの宗教やそれに類する多くの施設やその指導者
これだけたくさんの宗教や教義があるわけですがその中で、実際のところ本当に人々の役に立つ教えはいくつ存在していると思いますか
以前に私が出家したチベットとタイのことですが、それぞれに長所と短所はあるのですが、唯一決定的な違いがあることに帰国後気づいたのです

双方の指導者や運営に対する姿勢はどちらも甲乙つけ難いほど素晴らしいものでした
が、タイの僧院には残念ながら大切なあるものが完全に抜け落ちていることが判明しました
それは何かというと、僧侶一人一人の独創性です

宗教やヨガで最も大切なこと

宗教やヨガで最も大切なこと
宗教やヨガで最も大切なことはズバリ、人間一人一人の意思による小さな信仰です
平易に言えば、自分自身に対しての祈りの強さ。これが最も重要です

たとえ何年も掛けてたくさんの経典を読もうが、いくつもの荒行をこなしたとしても決して得ることができないものこそ「個人の小さな祈り」です

祈りの正体

人間は皆、「光」で出来ています
光こそ人間の起源であり本体、当体(とうたい)なのです

もっと言えば、タイは政治的に作為された宗教国家です
裏で米国が巧みに手薬煉を引いいているのです

タイの僧侶一人一人は皆、正義感が強く、とても純粋であるが故に、相手に対して疑うという概念を持っていないことが多くの悲劇を生んでいると感じました
“微笑みの国”という有名なキャッチコピーが知られていますが、実際には祈りの最前線であるはずの宗教の舞台さえ政治利用されているのです

では、チベットの方はどうかと言いますと、それはそれは口では伝え切れないくらい素晴らしい祈りの現場でした
チベットの僧院は世界でも有数の長い歴史を持っています
宗教という点だけではなく、言葉や文化、思想や人々の暮らし、芸術の分野まで幅広く古代からの継承を紡いでいる特徴があります

本物の信仰と偽りの信仰⑵

本物の信仰と偽りの信仰
本物の信仰と偽りの信仰を見分ける方法は次のとおりです
あなたが何もない窓のない部屋の真ん中に立っていると想像してください

ガネーシャの扉
ガネーシャの扉

正と負の扉

2つのドアが部屋から見えます。どちらも閉まっていますが、ドアノブを回すと開けることができます
ドアには、その向こう側で何が待っているかを説明する標識が付いています

仮にその2つをこう考えてみてください
(A)現実
(B)信念

ドアを開けたら、そこを通らなければなりません。するとドアは閉まり、入った場所から出ることはできなくなります
「現実」を選択すれば、宇宙の上から下まで、物事をありのままに知ることができるでしょう
あなたは神が存在するかどうか、もし存在するならこの究極の神性の性質を知るでしょう
死があなたの存在の終わりなのか、それとも別の形の人生の始まりなのかが分かるでしょう
人間が宇宙に想定している以上の意味が宇宙に存在するかどうかが分かるでしょう

あるいは、信念を選択すると、宇宙の性質についての現在の仮定の範囲内にあるものだけがわかります
あなたは残りの人生で、自分が真実だと信じていることが本当に真実であると確信するでしょう
これに反する証拠があったとしても、あなたの心に影響を与えることはありません
あなたは、神、創造、生、死、そして人間の存在の目的について、今抱いている信念に疑いを持たず、忠実であり続けるでしょう

あなたはどっち?

どのドアを通って歩くことを選択しますか?
答える前に、あなたの選択によって起こり得る影響を慎重に検討してください
現実は未知であり、謎です。それは恐ろしいこともあれば素晴らしいこともあり、苦痛なことも楽しいこともあり、温かく愛情深いこともあれば冷たく無関心なこともあります。絶対に本当の現実を受け入れたいですか?それとも、何が真実であるかについて自分の信念を貫きたいですか?

あなたの選択

わたしが推奨する小さな信仰を持つ人は、ためらうことなくドアAを選択し、大胆に現実に足を踏み入れるでしょう
なぜなら、彼らの信仰は特別なものではなく、真理は知ることができる、知られるべき、そして実際に知られなければならないという信仰だからです

ドアBを選択する場合、ほとんどの人達は自分の選択に始め後悔します。そのあと、初めて自分のこれまでの祈りは決して自分から湧き出たものではないという無常な感覚に苛まれます。なぜなら、信念で選んだ人の多くは、自らの確たる信念からではなく、既知の常識的な範疇でその信仰を選んでいたという事実にこの時初めて気づくのです

まとめ

ようするに、施設や規模の大きさ、教義や名声ではなく、個々の自由意思が尊重されるものこそ本当の宗教であり、祈りなのですから..

シャンティ・シャローム(Shantih Shalom)
Kriya Master 龜 井 さちを(Kamei Sachio)

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