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生きる力

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みなさま こんにちは!現存する地球最後のクリヤヨガマスター 龜 井 さちを です

生きる力。これに尽きます
今回はわたしがクリヤヨガマスターになる遥か以前の話です

目次

わたしのこれまでの半生を自戒の念も込めて綴ります!

かなり長い文章になるので氣合い込めて読んでください。好きな飲み物でも飲みながら、ゆっくりと読んでくださいね🤗🙏🏾

プロローグ

意氣ぜ!

ごく平均的なサラリーマン家庭の長男
1963年 10月2日 マハトマ・ガンジー氏と同じ🤗
母の実家山梨県上野原町のお産婆にて生まれました

Kamei Sachio
Kamei Sachio

父と母は横浜で知人の紹介で出会いました
後に、二人は結婚をしました

父は10人兄弟の3男として高知県に生まれ育ち、大学は名門大学を複数校受験し、いずれも合格していたにも関わらず、貧乏なため進学を諦め、その後、就職し、運送業界一筋で会社員を勤め上げた極々普通のサラリーマンでした

家の事を何一つしない父の代わりに、共働きの母が家事全部を行う典型的な昭和の亭主関白の父でしたね

わたしは小さい頃から霊感が非常に強く、引っ越し先の地縛霊達とも平気で会話をする子供でした。また、母の影響から、植物と動物が好きで、幼稚園の頃住んでいた東京都の稲城市ではそこらにいる野良犬15頭の群れを従え平然と遊んでいましたね(笑)※後に、この世に狂犬病が存在しない事実を知り悲しくなりました(ワクチンの薬害でした)

犬


わたしという人間をありのまま綴ります
途中、日本の常識とはあまりにもかけ離れたエピソードが相当あります
なかには気分が悪くなったりする事もあるかもしれません
何が出てきても平気!くらいの勢いで読んでほしいです!


わたしの激動の半生は中学校入学の時から始まりました
その壮絶な話しの前に、人生最初の恩師「丹野先生」の事を書きます


丹野先生。今は亡きわたしの小学生の時の担任の教師です

小学校
わたしが当時通った小学校はこんな木造校舎でした(画:イメージ)海外転載サイト(有料)からの出展


全てに天衣無縫でマイペースなわたしの本分を見抜いてくれた最初の人物が丹野先生でしたね

わたしは天性の運動神経と感性の鋭さがあり、その両方を体育の最初の授業の徒競走で私の最大の才能の一つを発見してくれた恩人の先生です
その頃、生徒は自主的に日記を付けることになっていて、とある日の体育の授業での一コマの感想の回答として丹野先生がわたしにこう書いてくれました


「龜 井 君の凄いところは2つある

足(脚)の力だ
特に、ここが凄い!」と先生はその箇所をわざわざイラストで書いてくれたのです


そこがどこか言いますと、「ハムストリングス」です
くわしく言うとハムストリングスとは、いわゆる大腿二頭筋、半腱様筋、半膜様筋。この3つを指し「ハムストリングス」と言います

ハムストリングスがなぜ重要か。それはここに力が加わる事で上肢の体幹や腹腔にも必要とされる力を届けることができるからなんですね!

小学生の頃のわたしには今書いた様な細かい事は当然わからなかったのですが、普通に歩いたり、階段や屋外の斜面を行き来したりする際も、他の生徒達の様にすぐにへばらないで居れた記憶があります
丹野先生はわたしの脚の身体能力の高さをひと目見て気づいてくれた素晴らしい人でしたよ(遠い目)
わたしの脚の凄さを「バネ」がある!と絶賛してくれました

そんな素晴らしい恩師丹野先生は残念な事に若くして癌で他界してしまいました
当時はセカンドオピニオンや自然療法的なムードも知識もなく、抗がん剤投与であっという間に帰らぬ人になってしまったのです

話は加わりますが、
わたしは小学生時代は比較的、おとなしい子供でした
そんな自分が嫌で嫌でたまりませんでした

その当時も猫も杓子も中学校お受験的なムードがすごくあって、仲がいい友達の家に行くと、決まってそこの母親から「龜 井 君はどこを受験するの?」と必ず聞かれ、わたしはハッタリで決まって「慶応ボウイ」かな。と冗談めいて返事をしていました(笑)

わたしが書くどの内容も相当古い話しなので記憶が断片的になるとは思います。小学生の頃もほぼ毎日、霊現象に遭遇するある意味肝試し的な日常が多くありました

特に中学生になってからはわたしの霊能力!?もいつのまにか勝手にパワーアップし始めました
そんな胸が高鳴る中学生になったばかりのわたしに忌まわしい大きな出来事が起きたのです


それは世間で今流行りの「恫喝」に遭ったのです。いわゆる「脅し」です
今も忘れはしないあの瞬間。「○○○○」という上級生にいきなりいちゃもんを付けられ脅されました

なにせ当時神奈川県で一番のワルの多い中学校に入学してしまったのです


わたしはその時、どう対処すれば分からずに、ポケ~っとしていたのも相手は無視されたと思い込みもの凄いドヤ顔で脅されました
その件のせいでしばらく憂鬱になり、酷く落ち込んでいた思い出があります

不良越え、非行少年として目覚める?!

中学2年生を迎える春、家庭の事情でわたしは転校をしました。前校での忌まわしい経験から教訓を得たわたしは、ある作戦で転校先の学校生活を乗り切ろうと決心しました
それは自らで生まれ変わればいい。大袈裟に言えば、「生きながら輪廻転生」すれば、なんとかなるんじゃねっ!的な軽いノリでした

今生での最初の「生きながら輪廻転生」した日

それはなにかと言うとですね、転校先でなめられない様にいかつい風貌で初日から登校をするというアイディアでした
ようするに「にわか非行少年」になる。という事です(笑)

画像
私の非行少年時代の写真


わたしは転校する数日前の休日からいそいそと準備を進めていました

頭髪は当時、不良の代名詞の「リーゼント・ヘア」をパマードで固め
額は剃りこみを入れ、眉毛も細くカット


通学カバンは「喧嘩上等」の赤いテープを取っ手に巻きつけたぺったんこに押し潰した薄いカバン、通称「チョンバッグ」を用意し、

ズボンはハイウェストのズンドウという形のスラックスを履き、靴は白のエナメル。用意は完璧に揃いました!

転校の当日、すぐに絶大な効果が・・・

わたしは中学2年生だというのにいきなり天下を取ることができました
それはどういうことかというと、上級生と思われる十数名がわたしのところに来てこう言ってきました

「おまえが、龜 井 か。」

わたしはその通りだからそのままこう返事をしました

「おう。だからなんだ!」

強めの口調でこう言い放つと、

彼らは、「いや、別に。。。」

といそいそと退散して行きました



只のハッタリで風貌や着こなし、言葉使いを変えただけなのに抜群に効果てきめんでした!(笑)



この事でわたしは中2で「番」を張ることができたのです
※番を張る、番長の事



そしてその頃から急に、わたしの身辺で霊現象と超常現象が頻発しだしました

画像

実録「恐怖新聞」と幽体離脱したあの晩

わたしは生まれつき強力な霊感を持ちこの世に生を受けて生まれました
小学生の頃も数々の心霊現象の体験がありました
それは中学に入るとますます凄いことになって来ました(笑)


当時のわたしは陰気でシャイな性格を変えたくて、転校を機会に生まれ変わることに成功しました。非行少年として見事に生まれ変わることができたのです

その頃のとっておきのエピソードをお伝えしますね!
当時、一番仲が良かった友人の保(仮名:たもつ)と夜な夜なバイクに跨り、中学生でありながら全国でも有数の暴走族の幹部として、わたしと保は走行区域の許可を県警に取りに行き、警察署公然で暴走族として横浜市中をわが物顔で走行していました

とある夏の暑く寝苦しい夜中、保の自宅の部屋で二人でウィスキーをストレートで飲みながら、好きなブラックミュージックを聴いて、怪談話やお互いに経験した超常現象のことについて真剣に朝まで語り合っていた時のことです


お互いいつの間にか眠ってしまったようです


次の瞬間、我が目を疑う光景が起こったのです


顔の前になんと天井がありました 額のすぐ前に天井でした


一瞬、なにが起きているのか理解できずその状態のまましばらくいました


なにげに視線を変えると、なんとわたしの体はぷかぷかと宙に浮いていました

画像
画:worldgloballinkの許可を得た掲載物からの出展




わたしの意識の中からこれは「幽体離脱」だよ。って声が聞こえてきました
今風にいうと、「体外離脱」ですね


ところで、この言葉、幽体離脱も体外離脱も同じように使われていますが、実のところ大きな違いがあるのです

「幽体離脱」と「体外離脱」という現象は、既存の科学やマスコミでは脳で起こる一時的な特殊な状態として片付けられていますが、実際はそんな程度のものではないのです

人間の心身は体や脳だけではない?

画像
「宣言」ある者には異層のスピリット達の光が集結する

その本人である以上、いくつかの(4つの)とても重要なものが生まれてから死ぬまで付随しているのです


その1つ目が、「魂」
魂は通常、人間の目には見えませんが、明らかに存在している大切なものです



2つ目は、「オーラ」
体で言えば「筋膜」の様な存在で、人間の体の外郭と内郭をグラデーションする感じで纏っているです



3つ目は、「意識」
この意識、に対する本人の捉え方次第で、わたし達が見る・聞く・感じるetc・・・ありとあらゆる現象や状態が変化して行くのです

最後は「呼吸」

魂・オーラ・意識、これらを束ね最高の状態へと導く力こそ「呼吸」です

呼気・吸気に沿うように意図する意識を出し入れしていくことこそほんとうのヨガの呼吸法であり、最強の錬金術です!

この答えを先史文明の猛者たちは探究していました

スピリチュアルの世界では、この意識こそ、「魂の乗り物」として古代から様々な王朝の権力者や呪術者たちがその真相究明に生涯を掛けた一大ロマンの大スペクタクルなものとして先人達は究明を目指していたのです


ようするに、意識とは、呼吸を基盤とする意図が封入されていることが重要です。それと現世を生きる当人達、本人の物と、その本人の過去生や前世、来世や未来からの記憶や感情、様々な媒体から得た知恵や知識、ありとあらゆるものが詰まったアカシックレコード」にアクセスするための大いなる存在から与えられた奇跡の賜物、それが「意識」なのですね

話を幽体離脱に戻しますが、記憶や脳だけで感じた状態だけでは幽体離脱したとは呼ばないのです

幽体離脱をした。という事は本人の意識と体が二元化した後、意識が気体化して、周りの状況を垣間見れるというのがほんとうの幽体離脱なのですね

画像
地球最強のヲヲアサ

わたしは保と彼が年上の知り合いのDJから貰った「○○」を吸いながら話題はまだ一度も行ったことも見たこともない海外の心霊スポットやパワースポットの話をいつしか2人で熱く語り合っていました

非行少年から一転「海の若大将へ」

わたしは高校は自ら蒔いたつまらぬトラブルからわずか一学期で退学してしまいました。高校生活は無いに等しいので省略します


わたしが18才くらいの頃、当時、BE-BOP-HIGHSCHOOL(ビー・バップ・ハイスクール)という不良漫画が流行っていました

映画化もされ「ミポリン」こと歌手で女優の中山美穂氏と脇を支えた仲村トオル氏や清水宏次朗氏、宮崎ますみ氏らが、わたしが中学生の頃、地でやっていたのとまんま同じ内容に妙に親近感を覚えたものです(笑)

18才になるかならないかの頃、わたしにとっての一大転機となった大きな事件が起こりました
ここでは書けない内容なので割愛しますが、ある人物(○翼)から私は命を狙われていました
その事から逃げるように育った町を後にする決断をした
のです



それまでのわたしときたら本当に親不孝の極地で、自分で言うのも何ですがいつ刺されても不思議じゃないくらいの荒んだ生活(人生)そのものでしたね

もし、あの日、あの時、ウィンドサーフィンに出会っていなかったらと思うとゾっとします

画像
当時、専門誌の取材で訪れた秋田「米代川」でわたし

続きもガッツリ書いてあります!
読む価値無量大数です!

https://note.com/embed/notes/n9da9e4135beb

《Kriyaヨガとは 人間の解脱への探求の無限運動であり、いわば生身の体を通じた唯一者への回帰的な転変行為である 》

本日も最後までお読みいただきましてほんとうにありがとうございます

愛と感謝と光を込めて…

シャンティ・シャローム(Shantih Shalom)

Kriyaヨガマスター龜 井 さちを(Kamei Sachio)

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